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理化学研究所ライフサイエンス技術基盤研究センター RIKEN Center for Life Science Technologies

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お知らせ

早石 修 先生のご逝去に際して

日本を代表する生化学者の早石修先生(京都大学名誉教授、大阪バイオサイエンス研究所創設所長・元理事長・名誉所長)が2015年12月17日に、95歳で逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。

以下、センター長の渡邊恭良より、謹んで追悼の辞を申し上げます。 

 

早石先生は素晴らしい先達でした。私は、京都大学、JST/ERATO早石生物情報伝達プロジェクト、大阪バイオサイエンス研究所と、学部学生の頃から実に30年間、大変お世話になりました。現在、理化学研究所で一緒に研究をしている方々の中にも、多数の弟子や早石先生の薫陶をいただいた方々がおられます。早石先生にいただいた研究者の魂を皆様にお伝えしたく、ここに追悼の文を出させていただきます。 

早石先生は、酸素添加酵素を発見され、そのメカニズムと生理的意義の研究を続けられました。酸素添加酵素は、モノアミンやプロスタグランジン等の生理活性物質の産生系であるとともに、P450(CYP)に代表される生体の代謝解毒機構にも大きく関わります。早石先生は、酵素学の研究のみならず、プロスタグランジンの生理活性作用から、睡眠のメカニズム研究でも大きな足跡を残されました。1972年に「酸素添加酵素の発見とその生理的意義の研究」により、当時として最年少(52歳)で文化勲章を受賞されました。その後もウルフ賞はじめ多数の国内外の著名な賞や名誉博士号を受けられ、1993年には勲一等瑞宝章を受賞されました。また、私が医学部学生として早石先生の研究室に通っていた1970年代は、ノーベル化学賞受賞に非常に近い研究者として毎年名が挙げられ、受賞発表前には先生の自宅前に多くの報道陣が待機する状況でした。当時の私は、講義が終わった16時から朝4時ごろまで実験をする毎日でしたが、1974年に岡山で開催された日本生化学会総会では野崎助教授(当時)を先頭に、祝賀会準備が本気で行われていたことを記憶しています。

早石先生は、研究者としての真実を追究する心構えと、間違いを許さない科学者としての矜持、またテクニカルスタッフ、アシスタント、学生に至るまで、みんな仲間で研究討論の上では対等であるという精神を貫かれました。これらは私も信奉しているものです。講演をされる際は全力で準備され、よく予行をされていました。私たちにも、「サルに聞かせるつもりでわかりやすく話しなさい」と諭されました。また、早石先生の恩師である古武弥四郎先生(大阪大学名誉教授、文化功労者)の「運・鈍・根」を座右の銘とされ、時に弟子に色紙などを求められると記載されました。これは、先生の人生観を表す言葉として良く訓示されたもので、良き師と良き協力者に恵まれた「運」によってこの道を歩み続けたこと、時間も手間もかかる生化学の研究を続けてこられたのは、少し「鈍」い刀と尽きることのない探求心・「根」気があったからこそという思いが込められています。科学者の精神の根幹と思えます。

早石先生は、よくご自分のことをドン・キホーテに例えられました。素晴らしい業績と栄誉にもかかわらず、日々、新境地を切り拓くことに情熱を注がれていました。また、サミュエル・ウルマンの詩「Youth」を良く聞かせていただきました。青春とは、こころの振る舞いである、と。毎日、最大限の努力を怠らず、かつ、これでいいのか、この研究をしていていいのか、もっとやらなければいけないことがあるのではないか、と苦しみ、楽しまれた研究者人生であったかと思います。

 

早石先生に育てていただいたことは、私の大きな財産であり、研究の毎日に折りに触れ、お叱りを受けていることを感じています。

合掌 

2015年1月8日
ライフサイエンス技術基盤研究センター センター長
渡邊 恭良

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